相模線の路線図・停車駅
| 所在地 | 神奈川県 |
|---|---|
| 種類 | 普通鉄道(在来線・幹線) |
| 起点 | 茅ケ崎駅 |
| 終点 | 橋本駅 |
| 駅数 | 18駅 |
| 経由路線 | |
| 電報略号 | サミセ |
| 路線記号 | |
| 開業 | 1921年9月28日 |
| 全通 | |
| 一部廃止 | 1984年3月31日 |
| 運営者 | 東日本旅客鉄道(全線) 日本貨物鉄道(茅ケ崎 – 厚木間) |
| 所有者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
| 車両基地 | 国府津車両センター 湘南・相模統括センター |
| 運転指令所 | |
| 使用車両 | |
| 路線距離 | 33.3 km |
| 最高速度 | 85 km/h |
| 軌間 | 1067mm |
| 電気方式 | |
| 電化方式 | 直流1,500 V 架空電車線方式 |
| 保安装置 | ATS-Ps |
| 関連路線 |
相模線(さがみせん)は、神奈川県茅ヶ崎市の茅ケ崎駅と同県相模原市緑区の橋本駅を結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である
東海道本線の茅ケ崎駅から相模川に沿って北へ向かう路線である。南側は相模川の東岸沿いを通り、北側は相模原台地の西側を築堤や切通しの連続で登り詰める。元は相模鉄道(法人としては現在の相鉄ホールディングス)の路線であったが、東海道本線と中央本線とを結ぶバイパス路線として後に国有化された。過去には支線として、1931年に廃止された寒川駅から川寒川駅への支線(通称:川寒川支線)と、1984年に廃止された寒川駅から西寒川方面への支線(通称:西寒川支線、寒川支線
路線名の「相模」は相模鉄道に由来するもので、旧国名に直接由来するものではない。相模鉄道が神中鉄道を吸収合併した際に、相模鉄道の路線(相模鉄道相模線、現在のJR相模線)と旧 神中鉄道の路線(相模鉄道神中線、現在の相鉄本線と相鉄厚木線)を区別するためにつけられた「相模線」の名称を踏襲している。
「がみ線」という通称がある
【相模線現在の車両】
【普通列車】
E131系500番台(国府津車両センター配置)
【相模線過去の使用車両】
キハ04形・キサハ04形200番台
キハ10形・キハ16形・キハ17形・キハユニ16形
キハ20形
キハ30形・キハ35形・キハ36形
キハ26形400番台
電車
205系500番台(国府津車両センター配置)
JR相模線路線データ
管轄(事業種別):
東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
茅ケ崎駅 – 橋本駅間:33.3km
日本貨物鉄道(第二種鉄道事業者)
茅ケ崎駅 – 厚木駅間:14.2km
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流1,500V)
閉塞方式:自動閉塞式(特殊)
保安装置:ATS-P
最高速度:85km/h
運転指令所:橋本CTCセンター
最小曲線半径:107m(茅ケ崎駅 – 北茅ケ崎駅間の1か所)
JR相模線路線歴史
相模線は、神奈川県中央部を縦貫して東海道線と中央線を連絡することと、相模川で採取した砂利の輸送を目的として建設された路線である[7]。相模鉄道(法人格としては現在の相鉄ホールディングス)によって建設され、1921年(大正10年)9月に最初の区間として茅ケ崎駅 – 寒川駅と砂利運搬用の支線 寒川駅 – 川寒川駅間が開業。1922年(大正11年)5月には砂利運搬用の支線 寒川駅 – 四之宮駅間、1926年(大正15年)7月には寒川駅 – 倉見駅 – 厚木駅間、1931年(昭和6年)4月29日に橋本駅までの全区間が開業した。しかし太平洋戦争中の1944年(昭和19年)6月に、茅ケ崎駅 – 橋本駅間と、相模海軍工廠とつながっている支線の寒川駅 – 四之宮駅間が戦時買収私鉄として国有化された。相模線を国有化した理由は、戦時体制のもと、都心が攻撃された場合に備え八高・横浜・相模線の迂回ルートを確保するためであった。
戦後には元の運営者である相模鉄道への払い下げや、国鉄分割民営化の前には相模鉄道への譲受を検討したこともあったが、国鉄分割民営化時には営業係数が400に近かったため条件が折り合わず破談となった
【相模鉄道】
1915年(大正4年):相模軽便鉄道として会社設立が計画され、10月21日に最初の定款が作成される。当初の計画では、茅ケ崎 – 寒川 – 厚木 – 原当麻 – 久保沢(城山町)付近 – 相原を通る路線であった
1916年(大正5年)6月26日:相模鉄道の発起人鳥越金之助(元帝国鉄道庁技師)ほか21名に対して茅ケ崎 – 相原間の軽便鉄道敷設免許が交付される
1917年(大正6年)12月18日:相模鉄道の創立総会が高座郡茅ヶ崎町茅ヶ崎の伊藤里之助(当時の茅ヶ崎町長)宅にて開催。資本金は60万円、本社所在地は茅ヶ崎町茅ヶ崎5573-2に置かれた
初代社長に日米富士自転車創業者で衆議院議員でもあった岡崎久次郎が就任
1918年(大正7年)1月4日:相模鉄道株式会社の設立登記がされる
1919年(大正8年)7月10日:相模鉄道が日本鋼管との間に軌条約8km分の購入契約を結ぶ
1919年(大正8年)7月11日:国鉄茅ケ崎駅付近(茅ケ崎駅を出て左カーブの左側)に本社事務所と機関庫が完成
1919年(大正8年)7月19日:寒川 – 川寒川間の砂利採取支線の敷設許可がおりる
1919年(大正8年)7月22日:砂利採取、販売兼営認可がおりる
当時は、手掘りにて砂利を採取し、鉄道開通以前であったため、狭い専用線を茅ヶ崎から敷設して、トロッコに積んで馬力で茅ヶ崎停車場に運搬し、ここから東海道線の貨車に積み替えて目的地まで運ぶというものであった。敷設された専用線は、鉄道用地ではなく県道を借用していたとの記述もある
1919年(大正8年)11月10日:一期工事の土木工事の入札が行われる
1919年(大正8年)11月21日:香川駅停車場予定地付近にて軌道敷設起工式を開催。線路予定地から反対運動も起き、さらに鋼材が高騰し資金不足で会社設立から起工式まで2年もかかった
1920年(大正9年)1月10日:茅ケ崎駅への乗り入れ連絡が承認される。乗り入れ工事は鉄道院によって施工
1920年(大正9年)5月末:乗り入れ工事完成。工事期間中に茅ヶ崎停車場共同使用願及び連帯輸送開始願を鉄道院に提出
1920年(大正9年)7月:砂利の採取地を寒川村一之宮、宮山及び神田村田村(現在の平塚市田村)と決める
1921年(大正10年)5月29日:茅ケ崎駅 – 寒川駅間5.0kmにて試運転。貨車3両を連結して寒川駅 – 川寒川駅間試運転。開業に向け、鉄道省からテンダー式蒸気機関車4両、4輪客車2両、4輪無蓋車11両、4輪緩急車3両の計18両の払い下げを受けた(以上のように書かれた資料もあるが、当時の話では2両しか機関車がなかった〈1924年参照〉とされ、払い下げが記述通りに行われたのか、記憶違いかは不明)
1921年(大正10年)9月12日:鉄道係員服務規則、鉄道係員懲罰規定、旅客及び貨物運輸規則、貨物運賃及び料金規則、貨物営業マイル程、運賃割引準則、増運賃規則、列車運転時刻などの諸規則が認可される
1921年(大正10年)9月20日:開通を目前に岡崎久次郎をはじめ役員のほとんどが退任。草津軽便鉄道の別府藤馬が代表取締役となる
1921年(大正10年)9月28日:相模鉄道線 茅ケ崎駅 – 川寒川駅間(4.0mi.≒6.44km)が開業。香川駅・寒川駅・川寒川駅が開業。当時は28kgレールを使用していた
1922年(大正11年)5月10日:砂利支線(貨物線・後の西寒川支線)寒川駅 – 四之宮駅間(1.2M≒1.93km)が開業。四之宮駅が開業
1923年(大正12年)2月5日:東河原駅(のちの西寒川駅)が開業(貨物営業)
1923年(大正12年)9月1日:関東大震災が発生し、復旧工事のため約1か月間不通となる
1924年(大正13年)3月28日:会社定款を一部変更し、軽便鉄道から地方鉄道法による鉄道に変更。
「大正12・13年頃の機関区には機関士3人、機関助手3人、技工1人、炭水夫1人、主任1人しかいなかった。機関車も101号と102号の2両しかなく、その2両で寒川まで運行していた」と相模鉄道社内報(1977年10月)に当時の話として載っている
1925年(大正14年)2月8日:投資家の南俊二が社長に就任
1925年(大正14年)7月8日:茅ケ崎駅 – 寒川駅 – 四之宮駅間に対する政府補助金の申請が許可される。この前後に茅ケ崎駅構内に機関庫1棟、川寒川駅・四之宮駅に貨物扱所、寒川駅 – 川寒川駅間の四之宮分岐点に信号所などが新設される
1925年(大正14年)7月:自社施設として汐留駅に砂利荷揚場が新設。震災復興資材として砂利供給の拠点となった
1926年(大正15年)1月25日:寒川駅 – 厚木駅間の起工式開催。工区は2区に分けられ倉見駅までを先行工区とし、併せて厚木駅までの線路用地及び停車場用地の買収も進めた
1926年(大正15年)4月1日:寒川駅 – 倉見駅間(2.3mi.≒3.70km)が延伸開業。倉見駅が開業(旅客営業のみ貨物営業開始は7月15日)
1926年(大正15年)7月15日:倉見駅 – 厚木駅間(3.7mi.≒5.95km)が延伸開業。のちに合併する神中鉄道の二俣川駅まで直通運転を開始。社家駅・厚木駅が開業
1926年(大正15年)7月30日:厚木駅 – 橋本駅間の工事起工式開催
1926年(大正15年)11月:工事区間の用地買収・全補償問題完了
1927年(昭和2年)4月1日:資本金を増資。目的には、茅ケ崎駅 – 寒川駅間の複線化、28kgレールを30kg以上へのレール交換などが含まれていた
1929年(昭和4年)11月:厚木起点5.6km以北から橋本駅までの区間で軌条敷設・橋本駅連絡工事、通信設備、駅などの諸工事が完了
1930年(昭和5年)4月:厚木起点から5.6kmまでの区間で、軌条敷設・砂利散布・つき固め工事が完了
1930年(昭和5年)4月1日 マイル表示からメートル表示に変更(茅ケ崎駅 – 厚木駅間 9.1mi.→14.6km、寒川駅 – 川寒川駅間 0.9mi.→0.9km、寒川駅 – 四之宮駅間 1.2mi.→2.0km)
1931年(昭和6年)1月30日:厚木駅 – 橋本駅間の工事が完成するも工事代金未払いのため引き渡しを受けられず、日本興業銀行から借入支払いを行う
1931年(昭和6年)4月29日:厚木駅 – 橋本駅間 (18.7km) 延伸開業し全通。上今泉停留場(現在の井戸坂踏切橋本側にあたる)・座間新戸駅(現在の相武台下駅)・下溝駅・原当麻駅・上溝駅(現在の番田駅)・相模横山駅(現在の上溝駅)・作ノ口停留場が開業
1931年(昭和6年)6月19日:南俊二が投資に失敗し相模鉄道株を売却したため社長を退任。次に就任した登坂小三郎は元鉄道院理事で横荘鉄道取締役であり同年に山梨電気鉄道社長に就任している
1931年(昭和6年)7月1日:宮山停留場・門沢橋停留場・本座間停留場が開業
1931年(昭和6年)11月1日:貨物支線 寒川駅 – 川寒川駅間 (0.9km) が廃止。川寒川駅が廃止
1932年(昭和7年)5月:原当麻駅 – 橋本駅間に対して鉄道省から補助金の交付を受ける。昭和6年度上期から欠損があり、日本興業銀行に対する未払い利息が25万9300円に達するほど経営状況が悪化していた
1932年(昭和7年)6月:ガソリン自動客車を導入。導入当時の話として「ボディーが高く、すぐに脱線してしまう。寒川駅の分岐点から少しでも入ると脱線してしまう。これではとても本線を走ることができない、何度やっても脱線する。そこで、機関区でボディーの高さを2センチほど低くしたら脱線しなくなった。」と相模鉄道社内報(1977年10月)に当時の話として載っている
1932年(昭和7年)6月1日:円蔵停留場・上磯部停留場が開業
1932年(昭和7年)11月1日:中新田停留場・大河原停留場(現在の南橋本駅)が開業
1935年(昭和10年)6月23日:貨物停車場として入谷駅が開業
1935年(昭和10年)8月20日:座間新戸駅構内側線が1.0km延長
1935年(昭和10年)10月16日:重油動力併用認可を受ける
1935年(昭和10年)11月2日:汽車製造会社と共同開発の日本初の電気式気動車キハ1000形流線型ディーゼル電動客車を購入、軽油を燃料に茅ケ崎駅 – 橋本駅間で運転を開始
1935年(昭和10年)11月7日届出:相模横山駅が本上溝駅に改称
1935年(昭和10年)12月24日:国鉄横浜線に乗り入れ、八王子駅までの直通運転の承認を受ける
1936年(昭和11年)1月15日:国鉄八王子駅へ直通運転開始。同時に運転本数を増やし、スピードアップを行う
1937年(昭和12年):厚木駅構内に小田急連絡線(小田急独身寮 – 坂本祭典間にあたる)が設置される
1938年(昭和13年)10月1日:座間新戸駅が陸士前駅に改称
1939年(昭和14年)10月1日届出:東河原駅が昭和産業駅に改称
1940年(昭和15年)月日不明:大河原停留場が相模町停留場に改称
1940年(昭和15年)2月1日:日東駅(現在の北茅ケ崎駅)が開業
1940年(昭和15年)4月20日:寒川駅 – 昭和産業駅間の旅客営業を開始
1940年(昭和15年)11月1日:陸士前駅が座間町駅に改称
1940年(昭和15年)11月15日:座間町駅が相武台下駅に改称
1940年(昭和15年)11月25日:円蔵停留場が移転
1941年(昭和16年)3月3日:香川台停留場が開業
1941年(昭和16年)4月1日届出:相模町停留場が駅に変更
1941年(昭和16年)6月30日:東京横浜電鉄社長の五島慶太が相模鉄道の社長に就任し、本路線が東急傘下となる
1942年(昭和16年)4月:海軍が昭和産業の工場を買収。当線での軍需輸送が始まる
1942年(昭和16年)10月30日届出:昭和産業駅が四之宮口駅に改称
1943年(昭和18年)4月1日:東急の主導により神中鉄道と相模鉄道が合併し、相模鉄道相模線となる
1943年(昭和18年)4月:相模海軍工廠が発足し、さらに軍事輸送が本格化する
1943年(昭和18年)10月1日:香川台停留場、中新田停留場、上今泉停留場、上磯部停留場、作ノ口停留場休止
1944年(昭和19年)1月21日:陸運統制令により運輸通信省との間に買収協定を締結する。買収は茅ケ崎駅 – 橋本駅間および寒川駅 – 四之宮駅間の35.3kmで、その価格は390万円であった
1944年(昭和19年)6月1日:戦時買収私鉄に指定され国有化、運輸通信省鉄道総局の管轄の相模線となる
停留場が駅に変更。日東駅が北茅ケ崎駅に、上溝駅が番田駅に、本上溝駅が上溝駅に、相模町駅が南橋本駅に、四之宮口駅が西寒川駅に改称。円蔵停留場・本座間停留場・香川台停留場・中新田停留場・上今泉停留場・上磯部停留場・作ノ口停留場が廃止。四之宮駅 – 西寒川駅間が廃止 (-0.5km)。厚木駅が茅ケ崎方に0.4km、原当麻駅が茅ケ崎方に0.3km移転など一部で改キロ
1946年(昭和21年)4月25日:社家駅 – 厚木駅間に山王原信号場が開設
1949年(昭和24年)3月2日:山王原信号場が廃止
1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道が発足
1954年(昭和29年)10月1日:寒川駅 – 西寒川駅間の旅客営業が廃止。1946年頃から旅客列車の運転はなかった
1956年(昭和31年)3月5日:キハ10形4両が茅ヶ崎機関区に新製配置
1957年(昭和32年):茅ヶ崎機関区煤煙問題で神奈川県が国鉄に抗議を行う
1958年(昭和33年)6月5日:ダイヤ改正で相模線の客車列車がなくなり、全てディーゼル化される
1958年(昭和33年)9 – 10月:キハ20形6両が茅ヶ崎機関区に新製配置
1960年(昭和35年)11月15日:寒川駅 – 西寒川駅間の旅客営業再開
1961年(昭和36年)4月1日:相模線管理所が発足
1964年(昭和39年):相模川での砂利採取が禁止になる
1965年(昭和40年)
翌1966年(昭和41年)にかけてキハ30形5両が茅ヶ崎機関区に新製配置
1965年(昭和40年)夏:茅ヶ崎機関区でこれまで相模線や東海道線で貨車・客車などの牽引、入換作業に従事してきた蒸気機関車の引退式
1966年(昭和41年)3月25日:蒸気機関車運転廃止。この時点では貨物列車や入換作業のみに使用されていた。国鉄から蒸気機関車の営業列車がなくなる9年前のことである
1969年(昭和44年):相模線の担当機関区が茅ヶ崎から八王子に移管された
1981年(昭和56年)4月29日:相模線全線開通から50年目をむかえ、記念のヘッドマークを掲出
1982年(昭和57年)7月27日:キハ20 56の廃車により、当線所属の気動車は35系にて統一される
1984年(昭和59年)3月31日:寒川駅 – 西寒川駅間支線廃止に伴うさよなら列車が寒川駅 – 西寒川駅間で運転。支線 寒川駅 – 西寒川駅間 (1.5km) が廃止。西寒川駅が廃止
1986年(昭和61年)3月3日:ダイヤ改正で試行列車として運転されていた22本が定期列車になる
キハ30 25・49を皮切りに朱色一色からクリームと青の相模線カラーに塗装変更された。相模線の担当機関区が八王子から茅ヶ崎に戻された
1987年(昭和62年)3月21日:海老名駅が開業。厚木駅 – 相武台下駅間の閉塞方式が通票閉塞式から自動閉塞式(特殊)に変更
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道が承継。日本貨物鉄道が茅ケ崎駅 – 厚木駅間、南橋本駅 – 橋本駅間の第二種鉄道事業者となる。厚木駅 – 南橋本駅間の貨物営業が廃止
1989年(平成元年)3月6日:電化工事着工
1990年(平成2年):南武線用205系で電化に伴う訓練列車運転
1991年(平成3年)3月16日:全線電化。205系500番台電車営業運転開始。キハ30・35形気動車使用終了。茅ケ崎駅 – 厚木駅間および相武台下駅 – 橋本駅間の閉塞方式がタブレット閉塞式から自動閉塞式(特殊)に変更。これにより、全線自動閉塞式(特殊)となった
1996年(平成8年)10月1日:東日本旅客鉄道横浜支社の発足に伴い、全線の管轄が東京地域本社(後の東京支社、首都圏本部)から横浜支社に変更される
1996年(平成8年)12月1日:相模線用車両を豊田電車区(現・豊田車両センター)から国府津電車区(現・国府津車両センター)に転属
1997年(平成9年)7月1日:日本貨物鉄道の南橋本駅 – 橋本駅間の第二種鉄道事業 (2.0km) が廃止
1997年(平成9年)11月13日:茅ヶ崎車掌区と茅ヶ崎運転区を統合し、茅ヶ崎運輸区が発足
1998年(平成10年)5月5日 – 5月6日:青梅線のイベントに使用するため、国府津電車区(現・国府津車両センター)配置のクモハ40形2両を東海道貨物線 – 当線 – 横浜線経由で往復とも終電後の深夜帯に回送。旧性能電車が当線を自力走行したのは本件が唯一の事例である
1998年(平成10年)9月28日:茅ケ崎駅 – 厚木駅間の定期貨物列車がこの日で運転終了。相模鉄道への甲種輸送のため、日本貨物鉄道の第二種鉄道事業免許は引き続き残されている
2006年(平成18年)5月20・21日:「相模線から お座敷列車で行く新緑の上高地」として485系「やまなみ」を使用した団体臨時列車を茅ケ崎駅 – 松本駅間で運行
2011年(平成23年)2月27日:電化開業から20周年を記念し、115系(豊田車両センター配置)3両編成を使用した団体臨時列車を海老名駅 – 茅ケ崎駅 – 熱海駅 – 横浜駅間にて運行
2011年(平成23年)3月14日:11日に発生した東日本大震災に伴う輪番停電の影響を受けて、この日から終日全線で運転が見合せとなる。その後、3月20日から寒川駅 – 茅ケ崎駅間で、3月28日から橋本駅 – 寒川駅間で運転が再開されたものの、全線の運転が再開されるまでに約2週間を要した。これは、相模線が他の路線のようなJR自前の変電所を持たず、東京電力からの電力供給に依存していたことが原因であった
2015年(平成27年)3月14日:ダイヤ改正により、朝夕の横浜線直通列車が10往復から6往復に減便
2015年(平成27年)3月22日:「さがみロボット産業特区」のPRのため、9月末まで相模線の1編成(R13編成)をラッピングした「アトムトレイン」を運行
2015年(平成27年)12月12日:団体臨時列車として485系「彩」を使用した「Shu-Shu Train」を橋本駅 – 茅ケ崎駅 – 根府川駅 – 横浜駅間で運行
2016年(平成28年)4月2日:団体臨時列車として485系「彩」を使用した「Shu-Shu Train2」を橋本駅 – 茅ケ崎駅 – 根府川駅 – 横浜駅間で運行
2020年(令和2年)4月4日:静岡デスティネーションキャンペーンアフターキャンペーンの一環で、団体専用列車として651系1000番台IR01編成を使用した「伊豆クレイル」を橋本駅 – 伊豆急下田駅間で運行予定であったが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大防止のため、運転中止となった
2020年(令和2年)4月8日:改正・新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく新型コロナウイルス緊急事態宣言の発令を受け、この日から茅ケ崎駅 – 橋本駅間の全駅でドア開閉ボタンの使用を中止し、自動でドアを開閉
2020年(令和2年)12月21日:この日から茅ケ崎駅、海老名駅、橋本駅で当駅始発、折り返し電車に限り、ドア開閉ボタンの使用を再開する
2021年(令和3年)11月18日:E131系500番台電車の営業運転を開始
2021年(令和3年)12月1日:全駅でドア開閉ボタンの使用が再開される
2022年(令和4年)2月25日:205系500番台電車の運用終了
2022年(令和4年)3月12日:ダイヤ改正により、全ての列車をE131系電車によるワンマン運転に統一し、横浜線(橋本駅 – 八王子駅間)への乗り入れを終了
2026年(令和8年)7月1日:支社制から事業本部制への再編に伴い、それまでの横浜支社の管轄から、茅ケ崎駅 – 入谷駅間を湘南伊豆事業本部、相武台下駅 – 橋本駅間を横浜事業本部の管轄に変更。線路設備管理については全区間とも横浜事業本部が承継
JR相模線路線図車輛停車駅名って?
JR相模線(さがみせん)ってどこからどこまでなの?という疑問に路線図でお答えします。
相模線(さがみせん)は、神奈川県茅ヶ崎市の茅ケ崎駅から同県相模原市緑区の橋本駅を結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である
JR相模線の停車駅
相模線「相模線」の停車駅は、茅ケ崎駅、北茅ケ崎駅、香川駅、寒川駅、宮山駅、倉見駅、門沢橋駅、社家駅、厚木駅、海老名駅、入谷駅、相武台下駅、下溝駅、原当麻駅、番田駅、上溝駅、南橋本駅、橋本駅です
相模線所属駅に限定する場合、起終点駅(茅ケ崎駅は東海道本線、橋本駅は横浜線の所属)が除外され、16駅となる
| 駅番号 | 駅名 | 駅の読み方 | 停車駅 | 乗り換え |
|---|---|---|---|---|
| 茅ケ崎駅 | ちがさき | ● |
東海道本線 湘南新宿ライン 【接続特急】 特急湘南 |
|
| 北茅ケ崎駅 | きたちがさき | ● | ||
| 香川駅 | かがわ | ● | ||
| 寒川駅 | さむかわ | ● | ||
| 宮山駅 | みややま | ● | ||
| 倉見駅 | くらみ | ● | ||
| 門沢橋駅 | かどさわばし | ● | ||
| 社家駅 | しゃけ | ● | ||
| 厚木駅 | あつぎ | ● | 小田急線(小田急小田原線) | |
| 海老名駅 | えびな | ● | 小田急線(小田急小田原線) 相鉄線(相鉄本線) 相鉄・JR直通線 |
|
| 入谷駅 | いりや | ● | ||
| 相武台下駅 | そうぶだいした | ● | ||
| 下溝駅 | しもみぞ | ● | ||
| 原当麻駅 | はらたいま | ● | ||
| 番田駅 | ばんだ | ● | ||
| 上溝駅 | かみみぞ | ● | ||
| 南橋本駅 | みなみはしもと | ● | ||
| 橋本駅 | はしもと | ● | 横浜線 京王相模原線 |
