北陸本線の路線図・停車駅
北陸本線(ほくりくほんせん)は、福井県敦賀市の敦賀駅から滋賀県米原市の米原駅までを結ぶ西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である
北陸本線は、滋賀県の米原市から北上して福井県敦賀市に至る路線であり、米原駅では東海道新幹線と東海道本線ならびに近江鉄道本線に、敦賀駅では北陸新幹線と小浜線ならびに第三セクター鉄道のハピラインふくい線に接続している。
ハピラインふくい線、IRいしかわ鉄道線、あいの風とやま鉄道線、えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン、東日本旅客鉄道(JR東日本)の信越本線・羽越本線・奥羽本線とともに、日本海に沿って近畿と北陸・東北を結ぶ日本海縦貫線の一部を構成している。「サンダーバード」や「しらさぎ」といった京阪神・名古屋の各都市圏から北陸新幹線と連絡する特急列車が数多く運転され、日本貨物鉄道(JR貨物)による貨物列車の往来も多い。
元々は米原駅から福井県・石川県・富山県を経て新潟県上越市の直江津駅までを結ぶ353.8 kmの路線であり、北陸地方の大動脈としての役割を担い続け、敦賀駅 – 直江津駅間も京阪神方面の「サンダーバード」「雷鳥」「白鳥」「日本海」や米原・名古屋方面の「加越」「しらさぎ」などの特急列車が多数行き交う「特急街道」であった。
2015年3月14日の北陸新幹線の長野駅 – 金沢駅間の延伸開業に伴い、並行在来線となる金沢駅 – 直江津駅間 (177.2 km) がJR西日本から経営分離され、石川県部分は「IRいしかわ鉄道」、富山県部分は「あいの風とやま鉄道」、新潟県部分は「えちごトキめき鉄道」とそれぞれ各県ごとに設立された第三セクター鉄道会社に移管された。さらに2024年3月16日には北陸新幹線の金沢駅 – 敦賀駅間の延伸開業に伴い、敦賀駅 – 金沢駅間 (130.7 km) もJR西日本から経営分離され、敦賀駅 – 大聖寺駅間が「ハピラインふくい」に、大聖寺駅 – 金沢駅間が「IRいしかわ鉄道」に移管され、北陸本線は米原駅 – 敦賀駅間の45.9 kmの路線となった。
第三セクターに経営分離された区間の距離としては全国最長になったことで。
北陸本線は本州のJR線では最も短い本線となった。また、北陸本線という路線名でありながら、全線のうち北陸地方を通るのは、北陸地方である福井県に含まれる新疋田駅から敦賀駅までの一駅間のみとなった。
JR北陸本線路線データ
管轄(事業種別):
西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
日本貨物鉄道(第二種鉄道事業者)
複線区間:全線
電化区間:全線(直流1,500 V)
閉塞方式:複線自動閉塞式
保安装置:
全区間:ATS-P(拠点P方式)およびATS-SW
最高速度
米原駅 – 近江塩津駅間:120 km/h
近江塩津駅 – 敦賀駅間:130 km/h
運転指令所:
全区間:近畿総合指令所
列車運行管理システム:JR京都・神戸線運行管理システム(米原駅 – 近江塩津駅間)
IC乗車カード対応区間:
ICOCAエリア:全線(米原駅 – 近江塩津駅間はPiTaPaポストペイサービス対象区間)
JR北陸本線路線図車輛停車駅名って?
JR北陸本線ってどこからどこまでなの?という疑問に路線図でお答えします。
滋賀県米原市の米原駅から福井県敦賀市の敦賀駅となっている。
JR北陸本線の停車駅
北陸本線の停車駅は、米原駅、坂田駅、田村駅、長浜駅、虎姫駅、河毛駅、高月駅、木ノ本駅、余呉駅、近江塩津駅、新疋田駅、敦賀駅です。
全12駅のうち北陸本線所属駅に限定した場合は、東海道本線所属の米原駅が除外され、11駅となる。
ICOCAエリア:全線(米原駅 – 近江塩津駅間はPiTaPaポストペイサービス対象区間)
閉塞方式:複線自動閉塞式
JR北陸本線の停車駅・路線図
北陸本線の停車駅は、米原駅、坂田駅、田村駅、長浜駅、虎姫駅、河毛駅、高月駅、木ノ本駅、余呉駅、近江塩津駅、新疋田駅、敦賀駅です。
| 駅番号 | 駅名 | 駅の読み方 | 停車駅 | 乗り換え |
|---|---|---|---|---|
| – | 米原駅 | まいばら | ● 特急しらさぎ 特急ひだ 特急らくラクびわこ |
東海道新幹線 東海道本線(豊橋から米原) 琵琶湖線 近江鉄道本線 |
| – | 坂田駅 | さかた | ● | |
| – | 田村駅 | たむら | ● | |
| – | 長浜駅 | ながはま | ● | |
| – | 虎姫駅 | とらひめ | ● | |
| – | 河毛駅 | かわけ | ● | |
| – | 高月駅 | たかつき | ● | |
| – | 木ノ本駅 | きのもと | ● | |
| – | 余呉駅 | よご | ● | |
| – | 近江塩津駅 | おうみしおつ | ● | 湖西線 |
| – | 新疋田駅 | しんひきだ | ● | |
| – | 敦賀駅 | つるが | ● 特急しらさぎ 特急サンダーバード |
北陸新幹線 小浜線 ハピラインふくい |
JR北陸本線路線歴史
北陸本線は全線が官設鉄道として建設された。1882年3月10日に長浜駅 – 柳ヶ瀬駅および洞道口駅(後の洞道西口駅) – 敦賀港駅(当時:金ヶ崎駅)が開業した。木ノ本駅 – 敦賀駅間は、当初の計画では塩津経由とされていたが、柳ヶ瀬駅経由で敷設された。これは柳ヶ瀬駅 – 今庄駅間に連絡線を敷設する意図や当初塩津街道沿いの塩津(近江塩津駅)経由であると最急勾配が37‰に対し、北国街道沿いの柳ヶ瀬駅経由であれば25‰となり、勾配が緩やかで建設上有利となるなどの理由があったため、変更を上申した結果である。柳ヶ瀬トンネル掘削工事が難航し、柳ヶ瀬駅 – 洞道西口駅間は徒歩連絡であったが、1884年4月16日にトンネルが開通し長浜駅 – 敦賀港駅間が全通した。1889年には米原駅 – 長浜駅間が開業。1895年に線路名称が定められた際は米原駅 – 敦賀駅間は東海道線の一部とされた。
なお、敦賀港が1899年に国際港として開港するとロシアなど大陸との定期航路に連絡する列車が運行されるようになった。その後、後述の紆余曲折を経て、1957年の近江塩津駅経由の新線への切り替えに伴い、当初の計画通りの路線に落ち着いた。
福井・金沢・富山方面への延伸にあたっては、政府の財政難から民間資本による建設が計画されたが、不況で資金が集まらず会社設立まで至らなかったことや、鉄道敷設の仮免状下付にまで漕ぎ付けたものの内紛から着工することができなかったため、結局その後、敦賀以北も官設鉄道として建設することが決定され、1893年に着工された。
1896年に敦賀駅 – 福井駅間が開業し、同年に北陸線と命名された。
この時、敦賀駅 – 今庄駅間は険しい山地を避け海側の杉津駅経由で建設されたが、それでも25‰の急勾配と12か所のトンネル、4か所のスイッチバックが連続する難所となった。「北陸線の盲腸」とまで謂われた路線ではあるが、その路線風景の美しさは鉄道唱歌にも詠われたほどである。時の大正天皇が行幸行脚した際には杉津駅で汽車の発車を止めて、しばし眼下に広がる敦賀湾の眺望を堪能したという逸話も残っている。
路線はさらに延伸され、1899年には富山駅まで開業した。当時の富山駅は神通川の付け替え(馳越線)の計画があったことなどから、1903年に神通川が付け替えられた後の1908年に神通川橋梁が完成するまで神通川左岸にあたる田刈屋に設けられた。
なお、富山駅周辺のルートについては、決定案である丙案 牛島案の他に、市街地南部(富山県師範学校〈現在の富山市立南部中学校に位置〉付近)、堀川および新庄を経て常願寺川左岸に至る甲案 堀川案、仮線の神通川左岸から分岐し奥田を経て常願寺川左岸へ至る乙案 奥田第一案、左記より北側を通る丁案 奥田第二案があった
富山駅 – 直江津駅間は富山線(富山東線・富山西線)として建設された。途中、北陸最大の難所といわれる親不知海岸を通る。また、三日市(現・黒部)駅 – 泊駅間については山側を通って愛本(現・黒部市宇奈月町愛本)を経由するルートも検討されていたが、勾配の関係等で生地駅や入善駅を経由する海側にて建設されることになった
1909年の線路名称制定時には米原駅 – 魚津駅間が北陸本線とされ、その後、糸魚川駅までは北陸本線として開業し、その先の糸魚川駅 – 直江津駅間は信越線の一部として開業した。1913年に最後の青海駅 – 糸魚川駅間が開業したことで、米原駅 – 直江津駅間の全線が北陸本線となった。
全通してからは輸送力増大のため、勾配緩和や複線化などの路線改良が課題となった
木ノ本駅 – 敦賀駅間は日本初のダイナマイト掘削による柳ヶ瀬トンネルなどを含む鉄道敷設黎明期の旧規格の急勾配区間であり、開業時より土砂崩落、雪害、線路凍結やヤスデ異常繁殖による車輪空転事故、トンネル内の窒息事故などが頻発していた。なかんずく、1928年12月の柳ヶ瀬トンネル内の窒息事故を契機に深坂経由の新線を敷設することが決定した。戦争を挟んで工事が一旦、中断したものの戦後第一次5か年計画として1952年に再開。不況により再度中断するもの1957年に木ノ本駅 – 敦賀駅間が近江塩津経由の新線に切り替えられた。
この時、同区間の旧線は柳ヶ瀬線として分離される。その後、柳ヶ瀬線は勾配区間用にエンジン2基搭載したディーゼル車キハ52を投入したものの、赤字線から脱することができず、北陸本線並走区間複線化への路盤提供のためもあり、1964年に廃止されている。
引き続き第二次5か年計画として敦賀駅 – 今庄駅間の改良工事に着手。1962年には全長13,870 mの北陸トンネルが開通し、敦賀駅 – 今庄駅間が新線に切り替えられ、杉津駅経由の旧線は無事故を記録したまま廃止された
1882年(明治15年)3月10日:長浜駅 – 柳ヶ瀬駅間(15M5C50L≒24.25 km)、洞道口駅 – 金ヶ崎駅間(8M76C16L≒14.4 km)が開業。柳ヶ瀬駅 – 洞道口駅間は徒歩連絡。長浜駅・大寺駅・河毛駅(初代)・高月駅・木ノ本駅・中ノ郷駅・柳ヶ瀬駅・洞道口駅(後の洞道西口駅)・刀根駅(初代)・麻生口駅・疋田駅・敦賀駅・金ヶ崎駅(後の敦賀港駅)が開業
1883年(明治16年)10月21日:洞道口駅が洞道西口駅に改称
1884年(明治17年)4月16日:柳ヶ瀬トンネル開通に伴い、柳ヶ瀬 – 洞道西口間(2M29C54L≒3.81 km)が延伸開業。洞道西口駅・麻生口駅が廃止
1885年(明治18年)3月16日:高月駅 – 木ノ本駅間に井ノ口駅が開業。刀根駅(初代)が廃止
1886年(明治19年)5月1日:大寺駅・河毛駅(初代)が廃止
1889年(明治22年)7月1日:米原駅 – 長浜駅間(4M50C≒7.44 km)が延伸開業
1889年(明治22年)7月6日:マイル・チェーン・リンク表記からマイル・チェーン表記に簡略化(米原駅 – 金ヶ崎駅間 31M1C21L→31M1C)
1892年(明治25年)6月21日:明治25年法律第4号「鉄道敷設法」が公布され、「北陸線」として「福井県下敦賀ヨリ石川県下金沢ヲ経テ富山県下富山ニ至ル鉄道及本線ヨリ分岐シテ石川県下七尾ニ至ル鉄道」および「北陸線及北越線ノ連絡線」として「富山県下富山ヨリ新潟県下直江津ニ至ル鉄道」の敷設を予定し、また同法第7条において「福井県下敦賀ヨリ石川県下金沢ヲ経テ富山県下富山ニ至ル鉄道」を第一期鉄道とする
1892年(明治25年)7月6日:鉄道敷設法により線路取調委員を設置し、同年8月より北陸線の調査を開始する
1892年(明治25年)12月18日:線路取調委員が実地調査を終える
1893年(明治26年)2月10日:帝国議会第一回鉄道会議に「敦賀ヨリ福井金沢ヲ経テ富山ニ至ル百二十三哩五十七鎖余」に係る「線路ノ形勢設計ノ概況」が提出され、同月16日これをもとに工事着手順序および年度別予算が決定される
1893年(明治26年)4月8日:鉄道庁敦賀出張所および鉄道庁第三部敦賀派出所を設置して敦賀 – 森田間の線路実測に着手し、同年8月これを終えて着工する
1893年(明治26年)8月12日:福井出張所派出所を設置し、今庄 – 森田間および敦賀 – 今庄間を担当する
1894年(明治27年)8月9日:森田 – 金沢間の線路実測に着手する
1895年(明治28年)2月23日:明治28年2月23日鉄第366号(局長達)によって官有鉄道各線の名称を定め、明治28年度よりこれを実施するものとする。このうち、東海道線は「旧東京神戸間、大船横須賀間、大府武豊間及ヒ米原敦賀間(但シ敦賀ステーシヨン迄)ヲ合併シテ本線ト称」し、北陸線は「敦賀富山間ヲ本線ト称ス(但し敦賀ステーシヨンヲ除ク」ものとされた
1895年(明治28年)3月:森田 – 金沢間の線路実測を終える
1895年(明治28年)6月:森田 – 金沢間の建設着工する
1896年(明治29年)5月28日:出張所を福井に移転し、福井鉄道局出張所と改称する
1896年(明治29年)6月1日:富山 – 金沢間の線路実測に着手する
1896年(明治29年)7月15日:北陸線 敦賀駅 – 福井駅間(38M40C≒61.96 km)が開業。杉津駅・今庄駅・鯖波駅(現在の南条駅)・武生駅・鯖江駅・大土呂駅・福井駅が開業
1896年(明治29年)7月:日本鉄道、甲武鉄道、両毛鉄道、大阪鉄道、関西鉄道、山陽鉄道、参宮鉄道、川越鉄道および播但鉄道との貨物連絡運輸を開始する。但し、両毛鉄道は日本鉄道経由、参宮鉄道は関西鉄道経由、川越鉄道は日本鉄道および甲武鉄道経由であった
1896年(明治29年)9月:奈良鉄道との貨物連絡運輸を開始する
1896年(明治29年)10月8日:富山 – 金沢間の線路実測を終え、同年11月より着工する
1896年(明治29年)11月1日:小松出張所派出所を設置し、大聖寺 – 美川間を担当する
1896年(明治29年)11月2日:倶利伽羅出張所派出所を設置し、金沢 – 石動間を担当する
1897年(明治30年)2月26日:倶利伽羅出張所派出所を金沢に移転し、美川 – 石動間を担当する
1897年(明治30年)5月17日:高岡出張所派出所を設置し、石動 – 富山間を担当する
1897年(明治30年)7月:豊川鉄道との間に貨物連絡運輸を開始する
1897年(明治30年)8月18日:鉄道作業局設置に伴い、福井鉄道局出張所を福井鉄道作業局出張所と改称する
1897年(明治30年)9月20日:福井駅 – 小松駅間(30M3C≒48.34 km)延伸開業。森田駅・新庄駅(現在の丸岡駅)・金津駅(現在の芦原温泉駅)・細呂木駅・大聖寺駅・動橋駅・小松駅が開業。敦賀駅 – 金ヶ崎駅間の旅客営業廃止。金ヶ崎駅が金ヶ崎貨物取扱所に変更。井ノ口駅が廃止
1897年(明治30年)11月4日:出張所を金沢に移転し、金沢鉄道作業局出張所と称する
1898年(明治31年)1月:京都鉄道との間に旅客および貨物連絡運輸を開始する
1898年(明治31年)4月1日:小松駅 – 金沢駅間(17M48C≒28.32 km)が延伸開業。美川駅・松任駅・金沢駅が開業
1898年(明治31年)4月5日:小松出張所派出所を廃止する
1898年(明治31年)4月:西成鉄道との間に貨物連絡運輸を開始する
1898年(明治31年)6月:近江鉄道との間に貨物連絡運輸を開始する
1898年(明治31年)9月:阪鶴鉄道との間に貨物連絡運輸を開始する
1898年(明治31年)10月:石動 – 福岡間の小矢部川橋梁が竣工する
1898年(明治31年)11月1日:金沢駅 – 高岡駅間(25M29C≒40.82 km)が延伸開業。津幡駅・石動駅・福岡駅が開業(高岡駅は中越鉄道の駅として既に同年1月21日に開業)
1898年(明治31年)11月:河陽鉄道鉄道との間に大阪鉄道経由により旅客および貨物連絡運輸を開始する
1899年(明治32年)1月:中越鉄道との間に旅客および貨物連絡運輸を開始する
1899年(明治32年)2月:尾西鉄道との間に関西鉄道経由により貨物連絡運輸を開始する
1899年(明治32年)3月20日:高岡駅 – 富山駅間(11M5C≒17.8 km)が延伸開業。小杉駅・富山駅が開業。高岡駅 – 小杉駅間の庄川橋梁は仮橋であった。同時に富山駅 – 米原駅間に1往復直通列車を運行開始する
1900年(明治33年)8月:七尾鉄道との間に旅客および貨物連絡運輸を開始する
1900年(明治33年)10月:七尾鉄道との間に速達扱貨物連絡運輸を開始する
1900年(明治33年)12月:高岡 – 小杉間の庄川橋梁が竣工する
1902年(明治35年)2月15日:新庄駅が丸岡駅に改称
1902年(明治35年)6月1日:虎姫駅が開業
1902年(明治35年)11月1日:米原駅 – 敦賀駅 – 金ヶ崎駅間が北陸線に編入される。全線で改マイル(米原駅 – 富山駅間 +19C≒0.38 km、敦賀駅 – 金ヶ崎駅間 +27C≒0.54 km)
1902年(明治35年)11月12日:マイル・チェーン表記からマイル表記に簡略化(米原駅 – 富山駅間 153M7C→153.1M、敦賀駅 – 金ヶ崎駅間 1M5C→1.1M)
1903年(明治36年)1月1日:長浜駅舎移転。旧駅舎は現在の長浜鉄道記念館である
1903年(明治36年)6月20日:小舞子仮停車場が開業
1905年(明治38年)4月:七尾鉄道線列車が津幡駅 – 金沢駅間への直通運転を開始する
1905年(明治38年)12月20日:鉄道局の調査に基き、第17回鉄道会議において富山 – 直江津間の建設および同線の第一期鉄道への追加を諮問、諒承される
1906年(明治39年)3月20日:明治39年法律第14号鉄道敷設法の改正により、同法第7条第1項に「北陸線及北越線ノ連絡線富山県下富山ヨリ新潟県下直江津ニ至ル鉄道」を追加する
1906年(明治39年)4月16日:米原駅 – 富山駅間の列車を4往復とし、うち1往復を神戸から直通運転とする
1906年(明治39年)4月:富山直江津間鉄道の実地測量を開始する
1907年(明治40年)3月:富山より鉄道敷設工事に着手する
1907年(明治40年)4月1日:帝国鉄道庁富山建設事務所を設置する。また同日、総武鉄道との間に大貨物および小貨物の連絡運輸を開始する
1907年(明治40年)7月1日:統監府鉄道との間に旅客、手荷物および通常・速達便扱貨物連絡運輸を開始する
1907年(明治40年)8月1日:大阪商船株式会社台湾航路との間に神戸経由によって通常貸切・速達便扱貨物等の連絡運輸を開始する
1907年(明治40年)11月16日:粟津駅が開業
1908年(明治41年)北陸線富山 – 魚津間開通に際して各駅の紹介をする新聞
1908年(明治41年)2月16日:津幡駅 – 石動駅間に倶利伽羅信号所が開設
1908年(明治41年)3月21日:杉津駅 – 今庄駅間に大桐信号所が開設
1908年(明治41年)3月25日:金ヶ崎貨物取扱所を金ヶ崎駅に変更(貨物のみの取り扱いは変更なし)
1908年(明治41年)4月21日:敦賀駅 – 杉津駅間に東郷信号所が開設
1908年(明治41年)4月:直江津より富山直江津間鉄道敷設工事に着手する
1908年(明治41年)5月1日:新橋 – 富山間において直通列車の運行を開始する
1908年(明治41年)6月1日:大桐信号所が大桐駅として開業
1908年(明治41年)11月3日:呉羽駅が開業
1908年(明治41年)11月5日:大阪商船株式会社浦塩航路との間に敦賀を接続地点として各官有鉄道主要駅に対し旅客および手荷物の連絡運輸を開始する
1908年(明治41年)11月16日:呉羽駅 – 富山駅間の経路が変更され、富山駅が移転(+0.4M≒0.64 km)。富山線 富山駅 – 魚津駅間(15.8M≒25.43 km)が開業。東岩瀬駅(現在の東富山駅)・水橋駅・滑川駅・魚津駅が開業。また同日より新橋駅 – 米原駅 – 魚津駅間第537および538列車を新設する
1909年(明治42年)6月1日:敦賀駅が移転し、米原方面 – 福井方面スイッチバック運転を解消(代りに米原方面 – 金ヶ崎駅がスイッチバックとなる)
1909年(明治42年)6月15日:倶利伽羅信号所が倶利伽羅駅として開業
1909年(明治42年)10月12日:国有鉄道線路名称制定により、米原駅 – 魚津駅間、敦賀駅 – 金ヶ崎駅間を北陸本線とする
1909年(明治42年)12月10日:風波隧道建設中に落盤事故あり、坑夫12人が生埋めとなるものち救助される
1910年(明治43年)4月16日:魚津駅 – 泊駅間(14.7M≒23.66 km)が延伸開業。三日市駅(現在の黒部駅)・生地駅・入善駅・泊駅が開業
1911年(明治44年)7月1日:信越線 直江津駅 – 名立駅間(9.2M≒14.81 km)が開業。郷津駅・谷浜駅・名立駅が開業
1911年(明治44年)11月1日:森本駅が開業
1912年(明治45年 / 大正元年)3月2日:敦賀駅構内の線路を付け替え米原方面から金ヶ崎へのスイッチバックを解消
1912年(明治45年 / 大正元年)7月:水害により姫川の堤防が決潰し、建設中であった避溢橋およびレール7鎖が流出する
1912年(明治45年 / 大正元年)8月1日:野々市駅(初代、現在の西金沢駅)が開業
1912年(明治45年 / 大正元年)10月15日:泊駅 – 青海駅間(14.5M≒23.34 km)が延伸開業。市振駅・親不知駅・青海駅が開業
1912年(明治45年 / 大正元年)12月16日:信越線 名立駅 – 糸魚川駅間(16.5M≒26.55 km)が延伸開業。筒石駅・能生駅・梶屋敷駅・糸魚川駅が開業
1912年(明治45年 / 大正元年)12月20日:寺井駅(現在の能美根上駅)が開業
【第二次大戦後】
1946年(昭和21年)9月1日:名立駅 – 谷浜駅間に有間川仮乗降場が開業
1946年(昭和21年)11月10日:上野 – 金沢間に準急列車の運行を開始する
1946年(昭和21年)12月12日:筒石駅付近で地すべりが発生。駅構内の路盤が移動し、4日間不通となる。
1947年(昭和22年)7月1日:有間川仮乗降場が有間川駅として開業
1947年(昭和22年)7月5日:大阪駅 – 青森駅間に急行列車の運行を再開する
1947年(昭和22年)7月14日:糸魚川駅を発着する列車の鉄道員を対象にヤミ米の取締り。機関車の石炭の中、修理道具入れなどから白米が発見される
1948年(昭和23年)2月13日:田苅屋信号場が田刈屋信号場に改称
1948年(昭和23年)6月28日:福井地震発生。福井駅 – 森田駅間の九頭竜川鉄橋が倒壊し、特に大土呂駅 – 牛ノ谷駅間は構内建物のほとんどが全壊した。福井駅 – 森田駅間で上野駅発米原行きの603旅客列車が、これとは別に同区間で貨物列車、丸岡駅 – 金津駅間で旅客列車が脱線転覆
1948年(昭和23年)7月1日:大阪駅 – 青森駅間、上野駅 – 金沢駅間に急行列車の運行を再開する
1948年(昭和23年)8月25日:福井駅 – 森田駅間に九頭竜仮信号場が開設
1948年(昭和23年)8月30日:浜黒崎仮停車場が廃止
1948年(昭和23年)9月1日:湯ノ尾信号場が湯尾駅として開業
1949年(昭和24年)4月8日:九頭竜仮信号場が廃止
1949年(昭和24年)7月10日:北福井信号場が北福井仮乗降場として旅客営業開始
1950年(昭和25年)1月28日:浦本駅が開業
1950年(昭和25年)5月20日:東岩瀬駅が東富山駅に改称
1950年(昭和25年)11月2日:大阪駅 – 青森駅間の急行列車を「日本海」、大阪駅 – 上野駅間の急行列車(上越線経由)を「北陸」と命名する
1951年(昭和26年)9月1日:北福井仮乗降場が廃止
1952年(昭和27年)10月1日:大阪駅 – 金沢駅間において準急「ゆのくに」の運転を開始する
1952年(昭和27年)12月1日:福井操車場が南福井駅として開業(貨物取り扱いのみ)
1954年(昭和29年)8月1日:坂田駅が開業(法性寺駅の復活)。河毛駅(2代目)が開業
1954年(昭和29年)10月1日:上野駅 – 金沢駅間に急行「白山」を新設する
1954年(昭和29年)12月10日:田村駅が再開業
1955年(昭和30年)5月1日:北鯖江駅が開業
1955年(昭和30年)7月20日:準急「ゆのくに」を定期列車とする
1955年(昭和30年)9月1日:倶利伽羅駅 – 石動駅間の倶利伽羅トンネル(新:現上り線)が完成する
1955年(昭和30年)10月1日:富山操車場が開設
1955年(昭和30年)11月11日:倶利伽羅駅 – 石動駅間に安楽寺信号場が開設
1955年(昭和30年)12月5日:津幡駅 – 石動駅間を倶利伽羅トンネル(新)含む新線に切替
1956年(昭和31年)4月10日:三日市駅が黒部駅に改称
1956年(昭和31年)11月10日:富山駅 – 富山操車場間が複線化
1956年(昭和31年)11月19日:福岡駅 – 高岡駅間に西高岡信号場が開設。田刈屋信号場が廃止。これにより田苅屋信号場 – 富山駅間の北陸本線と高山本線との重複区間が解消。また同日、大阪駅 – 富山駅間に急行「立山」を新設し、急行「北陸」の運転を福井駅 – 上野駅間に改める
1957年(昭和32年)4月25日:西高岡信号場が西高岡駅として開業
1957年(昭和32年)8月12日:田村駅 – 長浜駅間が複線化
1957年(昭和32年)10月1日:木ノ本駅 – 近江塩津駅 – 敦賀駅間 (23.4 km) が単線で開業。余呉駅・近江塩津駅・新疋田駅が開業。近江塩津駅 – 新疋田駅間に沓掛信号場が、新疋田駅 – 敦賀駅間に鳩原信号場が、牛ノ谷駅 – 大聖寺駅間に熊坂信号場が、泊駅 – 市振駅間に越中宮崎信号場が開設。木ノ本駅 – 敦賀駅間の旧線 (26.1 km) を柳ヶ瀬線として分離。田村駅 – 近江塩津駅 – 敦賀駅間が交流電化。米原駅 – 田村駅間が複線化
米原駅 – 田村駅間は非電化のまま残され、蒸気機関車およびディーゼル機関車の牽引、または気動車により交直接続を行った。機関車交換のため、田村駅は急行停車駅となる
当初は倶利伽羅峠越え旧線に使用していたE10形が充てられたが、1962年(昭和37年)春までに全車運用終了(2号機のみ青梅鉄道公園で保存)。以降は信越線に使用していたD50形が投入された
1957年(昭和32年)11月15日:市振駅 – 親不知駅間に風波信号場が開設
1957年(昭和32年)11月20日:越中宮崎信号場が越中宮崎駅として開業
1958年(昭和33年)4月10日:貨物支線 東富山駅 – 富山操車場 – 蓮町駅間 (8.5 km) が開業(東富山駅 – 富山操車場間は本線との重複区間)
1958年(昭和33年)9月25日:高月駅 – 木ノ本駅間が複線化
1958年(昭和33年)9月28日:長浜駅 – 虎姫駅間が複線化
1958年(昭和33年)9月29日:小杉駅 – 呉羽駅間が複線化
1958年(昭和33年)9月30日:虎姫駅 – 高月駅間が複線化
1959年(昭和34年)3月31日:生地駅 – 入善駅間に西入善信号場が開設
1958年(昭和33年)9月22日:東京駅 – 金沢駅間において米原駅経由の急行「能登」を新設する。また急行「北陸」の運転を金沢駅 – 上野駅間に改める
1960年(昭和35年)5月31日:呉羽駅 – 富山駅間が複線化
1960年(昭和35年)7月1日:西入善信号場が西入善駅として開業
1960年(昭和35年)9月26日:松任駅 – 西金沢駅間が複線化
1960年(昭和35年)9月28日:西金沢駅 – 金沢駅間が複線化
1960年(昭和35年)9月30日:石動駅 – 福岡駅間が複線化
1960年(昭和35年)10月1日:循環準急「しろがね」および「こがね」(東海道本線・北陸本線・高山本線経由)、また金沢駅 – 名古屋駅間に準急「第2ひだ」を新設する
1960年(昭和35年)12月6日:泊 – 越中宮崎駅間で貨物列車が土砂崩れに乗り上げ脱線
1961年(昭和36年)3月1日:大阪駅 – 金沢駅間において準急「加賀」、西舞鶴駅 – 金沢駅間において準急「若狭」を新設する
1961年(昭和36年)6月6日:市振駅 – 親不知駅間の複線電化計画が決まる(同年8月着工)
1961年(昭和36年)9月28日:福井駅 – 森田駅間が複線化
。
1961年(昭和36年)9月29日:魚津駅 – 黒部駅間に片貝信号場、青海駅 – 糸魚川駅間に姫川信号場が開設
1961年(昭和36年)10月1日:大阪駅 – 青森駅・上野駅間に特別急行「白鳥」、金沢駅 – 新潟駅間に急行「きたぐに」、大阪駅 – 富山駅間に準急「つるぎ」(高岡駅 – 富山駅間は普通列車)、金沢駅 – 上野駅間に急行「黒部」を新設する
1962年(昭和37年)2月19日:丸岡駅 – 金津駅間が複線化
1962年(昭和37年)3月19日:今庄駅 – 湯尾駅間が複線化
1962年(昭和37年)3月21日:今庄駅 – 福井駅間が交流電化
1962年(昭和37年)5月10日:複線電化に先立ち、今庄機関区廃区式を挙行
1962年(昭和37年)6月2日:新線切り替えに先立ち、敦賀駅 – 今庄駅間の旧線区間廃線式を挙行
1962年(昭和37年)6月9日:早朝上り216列車と下り225列車をもって、下り線線路付け替えのため敦賀駅 – 杉津駅 – 今庄駅間 (26.4 km) が廃止。以降終日新線を暫定使用。運行は旧ダイヤに基づき、敦賀駅・余座踏切地点・南今庄地点・今庄駅で時間差調整された。深山信号場・新保駅・葉原信号場・杉津駅・山中信号場・大桐駅がこの日早朝限りで廃止。今庄機関区が廃区
敦賀機関区・今庄機関区に在籍していた(小浜線用を除く)旧線用蒸気機関車は金沢機関区に移籍(一部は長野機関区移籍。DF50形およびDD50形ディーゼル機関車は富山機関区移籍。後にDD50形は米原機関区に移籍し、柳ヶ瀬線で3両編成旅客車牽引として使用の後、交・直流ジャンクションの中継機として使用された)
1962年(昭和37年)6月10日:北陸トンネル正式開通。敦賀駅・福井駅にて祝賀式典が執り行われる。敦賀駅 – 今庄駅間が複線交流電化新線 (19.3 km) 開業。南今庄駅が開業。また、大阪駅 – 金沢駅間に急行「越前」を新設する
同時に福井駅 – 金沢駅間の旅客列車はディーゼル機関車牽引となり福井駅が機関車付け替え駅となる
1962年(昭和37年)8月1日:安楽寺信号場 – 石動駅間が複線化
1962年(昭和37年)8月10日:福岡駅 – 西高岡駅間が複線化
1962年(昭和37年)9月15日:倶利伽羅駅 – 安楽寺信号場間が複線化。安楽寺信号場が廃止
1962年(昭和37年)9月25日:津幡駅 – 倶利伽羅駅間が複線化。倶利伽羅トンネル(下り線)を供用開始
1962年(昭和37年)9月27日:松梨信号場 – 寺井駅間が複線化。小松駅 – 寺井駅間に松梨信号場が開設
1962年(昭和37年)9月28日:能生駅 – 筒石駅間に百川信号場が開設
1962年(昭和37年)9月29日:寺井駅 – 小舞子駅間が複線化。入善駅 – 泊駅間に小川信号場が開設
1962年(昭和37年)9月30日:熊坂信号場 – 大聖寺駅間が複線化
1962年(昭和37年)12月10日:粟津駅 – 小松駅間が複線化
1962年(昭和37年)12月28日:米原駅 – 田村駅間が直流電化。田村駅の米原寄りにデッドセクションを設置
1963年(昭和38年)3月16日:能生駅 – 筒石駅間で列車が地すべりに巻き込まれて脱線転覆
1963年(昭和38年)4月4日:福井駅 – 金沢駅間が交流電化
1963年(昭和38年)4月15日:武生駅 – 鯖江駅間が複線化
1963年(昭和38年)4月20日:準急「ゆのくに」および「加賀」を急行に格上げし、電車化する。また大阪駅 – 和倉駅(上り列車は輪島駅)間に急行「奥能登」、金沢駅 – 秋田駅(上り列車は青森駅)間に急行「しらゆき」、名古屋駅 – 金沢駅間に急行「加越」、敦賀駅 – 金沢駅間に準急「越前」を新設する。また準急「わかさ」の運転を福井駅までとし、大阪駅 – 青森駅間の普通列車511および512列車を廃する
1963年(昭和38年)6月:親不知駅 – 青海駅間の複線電化工事が始まる
1963年(昭和38年)7月22日:牛ノ谷駅 – 熊坂信号場間が複線化。熊坂信号場が廃止
1963年(昭和38年)9月1日:小舞子駅 – 美川駅間が複線化
1963年(昭和38年)9月16日:王子保駅 – 武生駅間が複線化
1963年(昭和38年)9月25日:鯖波駅 – 王子保駅間が複線化
1963年(昭和38年)9月27日:小松駅 – 松梨信号場間、高岡駅 – 越中大門駅間が複線化。松梨信号場が廃止
1963年(昭和38年)9月30日:新設された衣掛隧道ループ線(鳩原ループ線)を上り線として使用開始に伴い、新疋田駅 – 敦賀駅間が複線化
1963年(昭和38年)10月1日:本線下り線専用となるため柳ヶ瀬線の疋田駅 – 敦賀駅間休止し、前日より代替バスに移行。鳩原信号場が廃止
1963年(昭和38年)10月20日:筒石駅 – 名立駅間に西名立信号場が開設
1964年(昭和39年)1月30日:親不知隧道の導坑が貫通する
1964年(昭和39年)4月10日:(仮)小舞子駅が正式な駅に昇格し小舞子駅が開業
1964年(昭和39年)5月11日:柳ヶ瀬線 木ノ本駅 – 柳ヶ瀬駅 – 疋田駅 – 敦賀駅間 (26.1 km) が廃止
1964年(昭和39年)8月24日:金沢駅 – 富山操車場間が交流電化
1964年(昭和39年)9月22日:浦本駅 – 能生駅間に木浦信号場が開設
1964年(昭和39年)9月24日:旧柳ヶ瀬線線路盤を本線上り線に転用し、木ノ本駅 – 余呉駅間が複線化
1964年(昭和39年)9月26日:春江駅 – 丸岡駅間が複線化
1964年(昭和39年)9月29日:西高岡駅 – 千保川信号場間が複線化。西高岡駅 – 高岡駅間に千保川信号場が開設
1964年(昭和39年)10月1日:大阪駅 – 金沢駅間に急行「越山」、大阪駅 – 金沢駅間に急行「越前」、敦賀駅 – 金沢駅間に準急「くずりゅう」を新設
1964年(昭和39年)11月20日:早月信号場が東滑川駅として開業
1964年(昭和39年)12月1日:出雲市駅 – 金沢駅間に急行「あさしお」(小浜線・宮津線経由)を新設する
1964年(昭和39年)12月25日:大阪駅 – 富山駅間に特別急行「雷鳥」、名古屋駅 – 富山駅間に特別急行「しらさぎ」の運行を開始する
1965年(昭和40年)4月23日:生地駅 – 西入善駅間が複線化
1965年(昭和40年)5月20日:魚津市街地区間の高架化工事着工
1965年(昭和40年)5月27日:細呂木駅 – 牛ノ谷駅間が複線化
1965年(昭和40年)7月5日:越中大門駅 – 小杉駅間が複線化
1965年(昭和40年)7月20日:上市川信号場 – 滑川駅間が複線化。水橋駅 – 滑川駅間に上市川信号場が開設
1965年(昭和40年)7月30日:富山操車場 – 東富山駅間が複線化
1965年(昭和40年)8月9日:近江塩津駅 – 沓掛信号場間が複線化
1965年(昭和40年)8月20日:美川駅 – 加賀笠間駅間が複線化
1965年(昭和40年)8月25日:千保川信号場 – 高岡駅間が複線化。千保川信号場が廃止。富山操車場 – 泊駅間が交流電化
1965年(昭和40年)8月31日:青海駅 – 姫川信号場間が複線化
1965年(昭和40年)9月23日:余呉駅 – 近江塩津駅間が複線化
1965年(昭和40年)9月25日:動橋駅 – 粟津駅間が複線化
1965年(昭和40年)9月27日:金津駅 – 細呂木駅間が複線化
1965年(昭和40年)9月30日:市振駅 – 風波信号場間が複線化。親不知駅 – 青海駅間に黒岩信号場を開設し、黒岩信号場 – 青海駅間が複線化。親不知駅 – 黒岩信号場間は複線化時に上り線となる新子不知トンネルを単線で暫定供用。泊駅 – 糸魚川駅間が交流電化
1965年(昭和40年)10月1日:特別急行「白鳥」の上野行を、上野駅 – 金沢駅間の特別急行「はくたか」として独立させ運行を開始する。また大阪駅 – 金沢駅間に急行「金星」を新設し、急行「ゆのくに」、「越前」、「越山」および「くずりゅう」を廃止する
1965年(昭和40年)12月10日:黒部駅 – 生地駅間が複線化
1966年(昭和41年)3月11日:湯尾駅 – 鯖波駅間が複線化
1966年(昭和41年)3月16日:森田駅 – 春江駅間が複線化
1966年(昭和41年)3月18日:加賀笠間駅 – 松任駅間が複線化
1966年(昭和41年)3月24日:風波信号場 – 親不知駅間が複線化。風波信号場が廃止
1966年(昭和41年)6月1日:水橋駅 – 上市川信号場間が複線化。上市川信号場が廃止
1966年(昭和41年)8月1日:角川 – 魚津駅の高架化第1期が完成(上り線開通)
1966年(昭和41年)8月30日:東滑川駅 – 角川信号場間が複線化。東滑川駅 – 魚津駅間に角川信号場が開設
1966年(昭和41年)9月7日:鯖江駅 – 北鯖江駅間が複線化
1966年(昭和41年)9月13日:北鯖江駅 – 大土呂駅間が複線化
1966年(昭和41年)9月22日:大聖寺駅 – 作見駅間が複線化
1966年(昭和41年)9月24日:大土呂駅 – 南福井駅間が複線化
1966年(昭和41年)9月29日:作見駅 – 動橋駅間が複線化
1966年(昭和41年)10月1日:名古屋駅 – 金沢駅間に急行「兼六」を新設し、準急「しろがね」、「こがね」および「ひだ」を急行に格上げする。また急行「あさしお」を米子駅 – 金沢駅間に改める
1966年(昭和41年)11月25日:西入善駅 – 入善駅間が複線化
1966年(昭和41年)11月30日:沓掛信号場 – 新疋田駅間が複線化。沓掛信号場が廃止
1966年(昭和41年)12月3日:東富山駅 – 水橋駅間が複線化
1966年(昭和41年)12月15日:旧線(→下り線)の電化・防災強化改修により親不知駅 – 黒岩信号場間を複線化。黒岩信号場が廃止
1967年(昭和42年)1月20日:有間川駅 – 谷浜駅間の長浜トンネル複線化工事で落盤事故があり、5名死亡
1967年(昭和42年)5月19日:泊駅 – 越中宮崎駅間が複線化
1967年(昭和42年)8月22日:滑川駅 – 東滑川駅間が複線化
1967年(昭和42年)8月29日:小川信号場 – 泊駅間が複線化
1967年(昭和42年)9月20日:入善駅 – 小川信号場間が複線化。小川信号場が廃止
1967年(昭和42年)9月29日:越中宮崎駅 – 市振駅間が複線化
1968年(昭和43年)3月25日:野々市駅(2代目)が開業
1968年(昭和43年)8月9日:魚津駅 – 片貝信号場間が複線化
1968年(昭和43年)9月16日:姫川信号場 – 糸魚川駅間が複線化。姫川信号場が廃止
1968年(昭和43年)9月25日:有間川駅 – 谷浜駅間が複線化
1968年(昭和43年)9月27日:角川信号場 – 魚津駅間が複線化。角川信号場が廃止
1968年(昭和43年)10月1日:越美北線の越前花堂駅に北陸本線ホームが開設。同日より米原駅 – 金沢駅間において時速120キロでの列車運行を開始し、米原駅 – 金沢駅間の所要時間は3時間27分となる。また青森駅 – 大阪駅間に特別急行「日本海」、福井駅 – 上野駅間に季節急行「北陸1号」(上越線経由)を新設し、急行「ひだ」を特別急行に格上げし、青森駅 – 大阪駅間の急行「日本海」を急行「きたぐに」、大阪駅 – 新潟駅間の急行「きたぐに」を急行「越後」、富山駅 – 大阪駅間の急行「金星」を急行「つるぎ」、金沢駅 – 米子駅間の急行「あさしお」を急行「大社」と改称し、急行「能登」、急行「黒部」、急行「加賀」および急行「加越」を廃止の上で統廃合する。同日、魚津市街地区間の高架化工事完了
1969年(昭和44年)6月4日:糸魚川駅 – 梶屋敷駅間が複線化
1969年(昭和44年)6月17日:片貝信号場 – 黒部駅間が複線化。片貝信号場が廃止
1969年(昭和44年)6月19日:梶屋敷駅 – 浦本駅間が複線化
1969年(昭和44年)8月9日:市振駅 – 親不知駅間で土砂崩れ。約30万㎥の土砂が160mにわたり線路を埋めたほか、子不知トンネルにも約2000㎥の土砂が流入した。不通の期間は、お盆の帰省時期と重なり大混乱となったが同年8月16日に復旧。ただし、抜本的な復旧工事には至らず、同区間では9月まで断続的に土砂崩れの発生、不通、復旧が繰り返される
1969年(昭和44年)9月16日:親不知駅付近で地すべりが発生。列車が地すべりに巻き込まれて脱線転覆
1969年(昭和44年)9月29日:浦本駅 – 有間川駅間が頸城トンネル経由の新線に切り替えられ複線化。能生駅・筒石駅・名立駅が移転。木浦信号場・百川信号場・西名立信号場が廃止。同日直江津駅発7時53分糸魚川駅着9時0分の米原行238列車が北陸本線内最後の蒸気機関車(国鉄D51形蒸気機関車617号機)牽引列車となる
1969年(昭和44年)10月1日:谷浜駅 – 直江津駅間が新線に切り替えられ複線化。郷津駅が廃止。糸魚川駅 – 直江津駅間が直流電化され、全線の複線電化が完成。全線で営業キロ改定、計2.8km短縮。また同日より特別急行「はくたか」を電車化して上越線経由とし、大阪駅 – 新潟駅間に臨時特別急行「北越」、福井駅 – 金沢駅・富山駅間に快速「こしじ」を新設する
営業キロ延長
0.1km…余呉駅 – 近江塩津駅間・新疋田駅 – 敦賀駅間・武生駅 – 鯖江駅間・大土呂駅 – 越前花堂駅間・森田駅 – 春江駅間・動橋駅 – 粟津駅間・西金沢駅 – 金沢駅間・高岡駅 – 越中大門駅間・滑川駅 – 東滑川駅間・生地駅 – 西入善駅間・有間川駅 – 谷浜駅間
0.2km…小舞子駅 – 美川駅間・市振駅 – 親不知駅間
1.1km…能生駅 – 筒石駅間
営業キロ短縮
0.1km…近江塩津駅 – 新疋田駅間・南今庄駅 – 今庄駅間・今庄駅 – 湯尾駅間・鯖波駅 – 王子保駅間・鯖江駅 – 北鯖江駅間・福井駅 – 森田駅間・春江駅 – 丸岡駅間・作見駅 – 動橋駅間・野々市駅 – 西金沢駅間・倶利伽羅駅 – 石動駅間・石動駅 – 福岡駅間・越中大門駅 – 小杉駅間・魚津駅 – 黒部駅間・西入善駅 – 入善駅間・越中宮崎駅 – 市振駅間・青海駅 – 糸魚川駅間
0.2km…寺井駅 – 小舞子駅間
0.3km…谷浜駅 – 直江津駅間
0.4km…名立駅 – 有間川駅間
0.5km…浦本駅 – 能生駅間
2.4km…筒石駅 – 名立駅間
1970年(昭和45年)10月1日:作見駅が加賀温泉駅に改称。大聖寺駅・動橋駅に振り分けていた特急・急行停車を同駅に統合。接続連絡していた北陸鉄道加南線全廃の引き金となる
1972年(昭和47年)3月15日:3月1日に三国線が廃止されたことにより、金津駅が芦原温泉駅に改称。また同日より金沢駅 – 松本駅間に急行「白馬」(大糸線経由)を新設し、上野駅 – 金沢駅間の急行「白山」を特別急行に格上げし、大阪駅 – 富山駅間の急行「つるぎ」を大阪駅 – 新潟駅間に延長し、循環急行「しろがね」および「こがね」を廃止する
1972年(昭和47年)10月2日:大阪駅 – 青森駅間の電化が完成し、特別急行「白鳥」を電車化して、急行「つるぎ」を特別急行に格上げする。また大阪駅 – 新潟駅間の普通列車を廃止する
1972年(昭和47年)11月6日:北陸トンネル内で急行「きたぐに」の食堂車から出火し、30名が死亡(北陸トンネル火災事故)
1973年(昭和48年)4月1日:鯖波駅が南条駅に改称
1975年(昭和50年)3月10日:大阪方面発着の特急・急行が一部を除き湖西線経由となる。また、米原駅 – 富山駅間に特別急行「加越」および上野 – 金沢間に急行「能登」を新設し、急行「北陸」を特別急行に格上げし、特別急行「雷鳥」および「しらさぎ」をL特急とし、急行「兼六」を廃止する
1978年(昭和53年)10月2日:急行「大社」の乗入れを福井駅までとし、特別急行「白山」をL特急とし、急行「越後」および急行「ゆのくに1」、「ゆのくに2」を廃止する
1982年(昭和57年)11月15日:急行「能登」を信越本線経由に変更し、特別急行「はくたか」、急行「越前」、「ゆのくに」、「立山」、「しらゆき」および「白馬」、また金沢鉄道管理局管外へ向う普通列車を廃止する
1985年(昭和60年)3月14日:急行「きたぐに」を電車化し、特別急行「ひだ」および急行「のりくら」の乗入れを中止し、急行「くずりゅう」を廃止し、客車普通列車を全廃する
1986年(昭和61年)11月1日:貨物支線 東富山駅 – 蓮町駅間 (8.5 km) が廃止
1986年(昭和61年)12月27日:特別急行「ゆぅトピア和倉」を新設する
1987年(昭和62年)3月31日:敦賀駅 – 敦賀港駅間の旅客営業が廃止。富山操車場が駅に変更され富山操駅として開業
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、米原駅 – 直江津駅間 (353.9 km) を西日本旅客鉄道が承継。日本貨物鉄道が米原駅 – 直江津駅間の第二種鉄道事業者、敦賀駅 – 敦賀港駅間 (2.7 km) の第一種鉄道事業者となる
1988年(昭和63年)3月13日:上越新幹線への連絡列車として金沢駅 – 長岡駅間に特別急行「かがやき」、また米原駅 – 金沢駅間に特別急行「きらめき」の運行を開始する
1988年(昭和63年)10月1日:明峰駅が開業
1989年(平成元年)3月11日:特別急行「スーパー雷鳥」を新設する
1989年(平成元年)7月21日:大阪駅 – 札幌駅間に団体専用列車として臨時特別急行「トワイライトエクスプレス」の運行を開始する
1989年(平成元年)12月2日:週4往復の臨時特急「トワイライトエクスプレス」の運行を開始する
1990年(平成2年)3月10日:富山操駅が富山貨物駅に改称
1990年(平成2年)6月5日:金沢駅付近が高架化
1991年(平成3年)9月1日:特別急行「ゆぅトピア和倉」を廃止する
1991年(平成3年)9月14日:田村駅 – 長浜駅間が交流電化から直流電化に変更。デッドセクションが坂田駅 – 田村駅間から長浜駅 – 虎姫駅間に変更。坂田駅が米原駅寄りに0.2km移転。湖西線との直通列車がすべて電車化され、近江今津駅 – 敦賀駅間の所要時分が長浜駅・永原駅以北直流化後の新快速並みとした
1992年(平成4年)12月26日:臨時特急「雷鳥」85号および90号において681系電車の運用を開始する
1993年(平成5年)3月18日:急行「能登」を電車化する
1994年(平成6年)12月3日:寝台特急「つるぎ」を廃止する
1995年(平成7年)4月20日:大阪駅 – 富山駅・和倉温泉駅間に特別急行「スーパー雷鳥(サンダーバード)」を新設する
1995年(平成7年)10月1日:近江塩津駅(構内除く)- 大聖寺駅(構内除く)間が金沢支社から福井地域鉄道部の直轄に、石動駅 – 市振駅(構内除く)間が金沢支社から北陸地域鉄道部の直轄に、市振駅 – 直江津駅(構内除く)間が金沢支社から糸魚川地域鉄道部の直轄になる
1997年(平成9年)3月22日:特別急行「はくたか」を新設。特別急行「スーパー雷鳥(サンダーバード)」を「サンダーバード」に改称。特別急行「かがやき」および「きらめき」を廃止する
1997年(平成9年)10月1日:特別急行「白山」を廃止する
2000年(平成12年)2月8日:近江塩津駅 – 直江津駅間に列車集中制御装置 (CTC) が導入される
2001年(平成13年)3月3日:特別急行「スーパー雷鳥」、新潟発着の「雷鳥」および「白鳥」を廃止する
2001年(平成13年)10月1日:特別急行「おはようエクスプレス」を新設する
2002年(平成14年)10月21日:金沢駅 – 森本駅間の旅客線が、並行する貨物線を転用して移設 (-0.1 km)。あわせて東金沢駅が移設
2002年(平成14年)11月18日:小松駅付近が高架化
2003年(平成15年)3月15日:特別急行「おやすみエクスプレス」の運行を開始し、特別急行「しらさぎ」を683系電車にて運行を開始する
2003年(平成15年)6月12日:JR貨物の金沢駅が金沢貨物ターミナル駅に改称
2003年(平成15年)10月1日:特別急行「加越」を特別急行「しらさぎ」に統合する
2005年(平成17年)4月18日:福井駅付近が高架化
2006年(平成18年)8月3日:滋賀電車内駅構内連続強姦事件が発生
2006年(平成18年)9月24日:長浜駅 – 敦賀駅間が交流電化から直流電化に変更。デッドセクションが北陸トンネル敦賀口付近に変更
2006年(平成18年)10月21日:ダイヤ改正により、新快速の敦賀駅乗り入れが開始
2009年(平成21年)4月1日:敦賀駅 – 敦賀港駅間の貨物列車の設定が廃止
2009年(平成21年)6月1日:組織改正により、石動駅 – 市振駅(構内除く)間が北陸地域鉄道部から富山地域鉄道部の管轄に、近江塩津駅(構内除く)- 南今庄駅(構内除く)間が敦賀地域鉄道部の管轄に、南今庄駅 – 大聖寺駅(構内除く)間が福井地域鉄道部の管轄になる
2009年(平成21年)10月1日:北陸本線内の特別急行および急行列車の全部を禁煙化する
2010年(平成22年)3月13日:特別急行「北陸」および急行「能登」を廃止する
2011年(平成23年)1月31日:北陸地方での前日からの大規模な大雪の影響で、除雪作業のため長浜駅 – 直江津駅間の全列車が終日運休。今庄駅などで特急が最大7本立ち往生した。全区間の運休は前例が無く、民営化以来の終日運休は初
2011年(平成23年)3月12日:特別急行「雷鳥」を特別急行「サンダーバード」に統合する
2011年(平成23年)4月2日 – 4月7日:東日本大震災で福島県内の車両部品工場が被災し保守部品調達の見通しが立たなくなったため、日中の金沢駅 – 直江津駅間(七尾線直通列車含む)において、普通列車の本数や車両数の削減や行先変更が実施される。また、北陸本線内のみの気動車列車が運転される(富山駅 – 黒部駅間)
2012年(平成24年)3月17日:特別急行「日本海」および急行「きたぐに」を廃止する
2012年(平成24年)9月25日:米原駅 – 長浜駅間でATS-P(拠点P方式)の使用開始
2013年(平成25年)12月12日:北陸新幹線開業に伴う新幹線並行区間の金沢駅 – 直江津駅間の廃止届が提出される
2014年(平成26年)10月18日:金沢駅 – 富山駅間を走行する日中の普通列車の一部において、ワンマン運転を開始
2015年(平成27年)3月13日:特別急行「はくたか」および「北越」、臨時特急「トワイライトエクスプレス」を廃止する
2015年(平成27年)3月14日
北陸新幹線 長野駅 – 金沢駅間延伸開業に伴い、金沢駅 – 直江津駅間 (177.2 km) を廃止し、金沢駅 – 倶利伽羅駅間がIRいしかわ鉄道に移管されIRいしかわ鉄道線に、倶利伽羅駅 – 市振駅間があいの風とやま鉄道に移管されあいの風とやま鉄道線に、市振駅 – 直江津駅間がえちごトキめき鉄道に移管され日本海ひすいラインになる。
これにより、富山、新潟の両県から北陸本線の名が消滅した。
寺井駅を能美根上駅に改称
2017年(平成29年)3月4日:敦賀駅 – 金沢駅間を走行する日中の普通列車の一部において、ワンマン運転を開始
2017年(平成29年)4月15日:大聖寺駅 – 金沢駅間でICカード「ICOCA」の利用が可能になる
2018年(平成30年)9月15日:牛ノ谷駅 – 新疋田駅間でICカード「ICOCA」の利用が可能になる。これにより北陸本線全線でICOCAの利用が可能となると共に関西圏と北陸本線のICOCAエリアが繋がる
2019年(平成31年)3月16日:米原駅 – 敦賀駅間でワンマン運転を開始。米原駅 – 金沢駅間で運転される2両編成による普通・快速列車はすべてワンマン運転となった
2019年(平成31年)4月1日:貨物支線 敦賀駅 – 敦賀港駅間 (2.7 km) が廃止
2022年(令和4年)8月4日:大雨の影響により、線路設備に甚大な被害が発生。敦賀駅 – 武生駅間が不通となる
2023年(令和5年)2月28日:北陸新幹線開業に伴う新幹線並行区間の金沢駅 – 敦賀駅間の廃止届が提出される
2024年(令和6年)3月16日:北陸新幹線 金沢駅 – 敦賀駅間延伸開業に伴い、敦賀駅 – 金沢駅間 (130.7km) を廃止し、敦賀駅 – 大聖寺駅間がハピラインふくいに移管されハピラインふくい線に、大聖寺駅 – 金沢駅間がIRいしかわ鉄道に移管されIRいしかわ鉄道線になった。これにより、営業キロが50kmも満たない路線になり、石川県から114年余り続いた北陸本線の名が消滅した
北陸本線 現在の使用車両
北陸本線で配置されている車両
特急(優等列車)電車
681系 – (大阪駅~敦賀駅)JR西日本吹田総合車両所所属(特急「サンダーバード」)
681系 – (名古屋駅・米原駅~敦賀駅)JR西日本吹田総合車両所所属(特急「しらさぎ」)
683系 – (大阪駅~敦賀駅)JR西日本吹田総合車両所所属(特急「サンダーバード」)
683系 – (名古屋駅・米原駅~敦賀駅)JR西日本吹田総合車両所所属(特急「しらさぎ」)
【普通列車(新快速・快速・普通)】
223系 – 1000番台・223系2000番台 – 網干総合車両所所属
225系– 0番台・225系100番台 – 網干総合車両所所属
521系 – 敦賀地域鉄道部所属
【北陸本線過去の使用車両】
【蒸気機関車】
D50形 – 晩年はE10の後継機として米原駅 – 田村駅間の交直中継用に充当
D51形
E10形 – 米原駅 – 田村駅間の交直中継用
C56 160 – JR西日本梅小路運転区所属(「SL北びわこ号」)- 2018年5月27日に本線運転を終了
C57 1 – JR西日本梅小路運転区所属(「SL北びわこ号」)
D51 200 – JR西日本梅小路運転区所属(「SL北びわこ号」)
【ディーゼル機関車】
DD50形 – DF50の配備後は米原駅 – 田村駅間の交直中継用に充当
DF50形
DD13形
DD14形
DD15形
DE10形 – 米原駅 – 田村駅間の交直中継、金沢総合車両所の入換用
DE11形
【電気機関車】
ED70形
ED74形 – 1962年(昭和37年)から1968年(昭和43年)まで
EF70形
ED30形 (2代目) – 米原駅 – 田村駅間の交直中継用
【電車】
125系 – 普通列車(米原駅 – 敦賀駅間)
221系 – 普通列車(米原駅 – 長浜駅間。2000年までは新快速でも運用。2022年3月改正時点では米原駅 – 長浜駅間の下り終電で使用されていたが2024年2月を以って運用を終了)
413系 – 普通列車
415系 – 急行「能登路」、普通列車
471・475・457系 – 急行「ゆのくに」「立山」「加賀」「つるぎ」「くずりゅう」「兼六」 など、普通列車
419系 – 普通列車
485系 – 特急「雷鳥」「スーパー雷鳥」「白鳥」「北越」「かがやき」「はくたか」「おはようエクスプレス」「しらさぎ」「加越」「きらめき」
489系 – 特急「白山」「雷鳥」「北越」「はくたか」(1969-1982年) 「しらさぎ」、急行「能登」
583系 – 特急「雷鳥」、急行「立山」「きたぐに」
683系2000番台(元「しらさぎ」編成) – 「しらさぎ」
【気動車】
キハ120形 – 越美北線(九頭竜線)からの普通直通列車
キハ40・47形 – 普通列車
キハ58系 – 急行「ひだ」「のりくら」「こがね」「しろがね」「大社」「ゆのくに」「きたぐに」「奥能登」「越後」「能登路」「白馬」など
キロ65形(ゆぅトピア) – 特急「ゆぅトピア和倉」
キハ80系 – 特急「白鳥」「はくたか」(1965-1969年)
【客車】
20系 – 寝台特急「北陸」「つるぎ」「日本海」
12系 – 急行「きたぐに」「SL北びわこ号」
14系 – 寝台特急「北陸」「日本海」[211]、急行「きたぐに」「能登」
24系 – 寝台特急「つるぎ」「日本海」「トワイライトエクスプレス」
一般形 – 急行、普通列車、夏季北海道向け貸出 など。
32系
35系
43系
10系
60系
